ヒマラヤ大聖者 ヨグマタ相川圭子さんに聞く Vol.1


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ブランシュシュの大きなテーマは、女性の「転機」。
結婚や出産、キャリアチェンジなど、今を生きる女性たちには、様々な転機が訪れます。自然に自由にわがままに自分の人生を選び、生きるための知恵やヒント、そして気づきが得られるように、様々なジャンルで活躍し、輝いている女性にお話をお聴きします。

このコーナーでは、史上初、女性のヒマラヤ大聖者であり、現在一般社会で会うことのできる世界でたった二人のヒマラヤ大聖者のひとり、ヨグマタ※相川圭子さんのお話を伺うことができました。

※ヨグマタとは、「宇宙の母」の意味。ヨグyog=ヨガyoga、マタmata=母mother(ヨグマタ相川圭子公式HPより)

ヨガ講師からヒマラヤ大聖者と呼ばれるようになるまで。
ヨグマタ相川圭子さんの生き方と言葉を通して、現代を生きる女性へ深い愛と叡智を贈ります。
シリーズの1回目。
自分らしい人生を送るための答えがここにあります。

生きづらさを抱え、時間に追われて毎日を暮らしている現代人。
けれども「人生こんなものだ」と諦めて生きるのはもったいないこと。
多くの人は自分の可能性に気づいていないだけなのです。
(「ヒマラヤ大聖者の人生を変える瞑想」(宝島社)ヨグマタ相川圭子著より)

ブランシュシュ:小さい頃はどのようなお子さんだったのですか?

ヨグマタさん:小さい頃から、「しっかりしなくちゃ」という意識を持ちながら成長してきたように思いますね。
人生をどう生きていくか? 子どもながらにそんなことを考えていました。
それというのも、父が1歳半の時に亡くなっているので、その影響もあったのかもしれませんね。
早い段階から、「何かになりたい」という気持ちを強く持っていました。
建築家になろうか、不動産鑑定士かなどと色々と模索をしていました。
でも、お嫁に行くという意識は全く無かったです。
父親がいなかったので、女性が家庭に入って幸せになるという概念が、私の中に無かったのかもしれません。

ブランシュシュ:独立心旺盛なお子さんだったのですね。
ヒマラヤ大聖者と呼ばれるようになるきっかけは何だったのでしょう?

ヨグマタ:自分が何になりたいかを模索していた頃、ヨガに出会ったんです。
私は、小さい頃から探究心が旺盛でした。そしてヨガはとても奥が深く、すぐに習得できるものではなかったので、私の探究心にピタリとはまったのかもしれませんね。
それからはヨガを中心に様々なことを勉強しました。身体のこと、心理的なこと、宗教的なこと、色々なヒーリングについて。更には、どうやったら病気が治るのかなども研究しました。そのような活動をしている頃、ご縁があって、ヒマラヤに行くことになりました。

ブランシュシュ:きっかけはヨガだったのですね。

ヨグマタ:そうです。その頃、私は都内でヨガ講師をしていました。テレビ局からある番組を作るためのお手伝いをして欲しいとお声かけ頂いたんです。それがきっかけで、パイロットババ※という方にヒマラヤに招待されました。
インドにハリドワールというお寺の多い都市があり、とてもスピリチュアルな場所です。ハリというのは神様、ドワールというのは入り口という意味です。そこからヒマラヤでの修行の旅が始まりました。

※パイロットババ:インドのビハール州ササラムの王族に生まれる。
この地はゴータマ・ブッダと縁の深い土地であり、幼少の頃よりヒマラヤ聖者に見守られて成長する。
学業終了後23歳でインド空軍に入隊。
中佐で退官後、ヒマラヤ聖者の正統な流れを嗣ぐハリババジに導かれ、ディクシャを拝受、弟子となり、究極のサマディに到達したシッダーマスター。
ハリババジのもう一人の弟子ヨグマタジとともにハリババジの師、マハ・アヴァタールババジの祝福を受ける。(パイロット・ババ日本公式HPより)

ブランシュシュ:ヒマラヤはどのような所ですか?

ヨグマタさん:ヒマラヤはとてもダイナミックな山です。スタート直後は、車で行ける所まで行きました。そこから3日、4日は歩き続けました。目が回るほどの険しい場所を登ったり下ったりしながら、獣道のようなところをガンジス川に沿って幾山も幾山も超えて修行する場所まで行くんです。
標高5000m以上の所で、木も無い様な場所をずっと歩いて行きました。

ブランシュシュ:それまで登山の経験はおありでしたか?

ヨグマタさん:いえ、無かったです。だから運動靴で行ってしまいました。 (笑)
それとジーンズとダウンジャケットで。まるで、その辺を歩いているような、普通の格好で行きました。
ヒマラヤに行くとなれば、他の方なら事前に一生懸命勉強してから行かれるのでしょうけどね。特別な食糧とか色々持ってね。私は、そういうのを全然知らなかったので、まぁ、知らぬが仏とでも言うんでしょうかね。(笑)

ヒマラヤでは食べ物がありませんので、ヒマラヤの食事は自然のものとなります。たいがいは鍋で煮たごはんに豆や野菜を入れたオジヤのようなもので、これはケーチョリ―といいます。・・・省略・・・しかし、一般の人がストイックになる必要はありません。「あれはダメ、これもNG」とそこから進めると、この修行ができない人がほとんどと思います。
(「ヒマラヤ大聖者の人生を変える瞑想」(宝島社)ヨグマタ相川圭子著より )

ブランシュシュ:ヒマラヤでの修行に向けて、日々心がけていたことなどはありましたか?
身を清めるとか? 平常心を保つための何かをしたとか?

ヨグマタさん:ヨガをやっていたので、自然にいろいろ準備されていたと思います。それは中心にいたので、他との調和もでき人間関係に悩むということもありませんでしたし。

人のストレスは、その人の記憶や思い込みが作り出しているのです。「この仕事は前にもやったけど大変だ」「難しそうな仕事だから、きついわ」と勝手に想像して、実際に取り組む前から、自分でストレスを作りだしていることが多いのです。
(「ヒマラヤ大聖者の人生を変える瞑想」(宝島社)ヨグマタ相川圭子著より)

ブランシュシュ:腹立たしいという感情はお持ちになったことがない?

ヨグマタさん:そういう感情は持ったことはないですね。皆さん、そうなんじゃないんですか?

ブランシュシュ:私のことでいえば、感情の起伏はあります。

ヨグマタさん:外から、何かしらの刺激があると、そういう腹立たしいという気持ちが芽生えるのかもしれませんね。
人から差別されるとか、他人と比較されるとか。
例えば、親の言うことをちゃんと聞かないとか、親の期待に沿わない行動をすると、子どものうちは叱られたりしますよね。
「あなたは、ダメな子だとか、グズだ、のろまだとか」
そういうことが影響するのかもしれませんね。
私の場合、末っ子ということもあって、家族の中で責任のある仕事が回ってこなかったんですね。だから、兄姉の誰かと比較されることはありませんでした。
兄姉の順番によっては、「お姉ちゃんなんだからやりなさい」とか、「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」とか言われたり、親に叱られることもあると思うんですよ。でも私はそういうことも無く、父親はいませんでしたが、母親から愛情をたっぷり受けて育ってきたので、そういう感情とは縁が無かったのかもしれません。子ども頃の経験は、大人になっても影響が大きいのでしょうね。それに、子どものわりにはしっかりしていたみたいなんです。
たまにお料理などを手伝うこともありました。親の手伝いは楽しかったですよ。
ずっといい子だったので、人に対してネガティブな感情を持つことがどういうことなのか、理解できなかったのだと思います。

ブランシュシュ:ご家族の愛情をたっぷりと受けてお育ちになったのですね。

ヨグマタさん:ただ、1回だけ自分の母親をジャッジしたことがあるんです。
私の実家は農家でした。
ある時、先生が家庭訪問で家に来ることになったんです。
それで、母親に向かって「お母さん、綺麗にして」と言った覚えがあります。
母親はいつも割烹着のようなものを着ていて、それに、上に兄姉が何人もいましたから、同級生のお母さんと比べると、私の母はかなり年上だったんです。なので、先生が来る時はもっと綺麗にして欲しいという気持ちがどこかにあったのだと思いますね。若い綺麗なお母さんがいいなという想いがあったのでしょうね。そういうことを1度だけ母親に言ったことがあります。
何かと比較されると、その刺激によって人はネガティブな感情を引き起こされるのかもしれません。
でも、私は田舎にいたので、比較するものがそれほど無かったのだと思います。
これが東京だったら、また違うかもしれません。一流企業にお勤めだなんていうと、生存競争が大変そうですよね。外から色々刺激を受けて大変なことになっていたかもしれません。
そういう世界は優秀な方が沢山いらっしゃるでしょうから、もし私がそんな世界にいたら、落ち込んでいたかもしれませんね。

人を変えようと思うことで、ストレスになります。ですから、自分が変わりましょう。しかし、子どもに小言を言わなくても、態度が改まることがあります。親が愛情をたっぷりその子に注いだときです。愛のエネルギーが子どもを変えるのです。
つまり、自分自身が愛に満たされ、その愛を子どもに注ぐと、相手を変えることができるのです。
(「ヒマラヤ大聖者の人生を変える瞑想」(宝島社)ヨグマタ相川圭子著より)

ブランシュシュ:結果的には競争社会ではなく、ヒマラヤ大聖者としての、真理の道があらかじめ準備されていたのでしょうか?

ヨグマタさん:そうですね。自然と我が道を行くという感じになりましたね。

シリーズ2回目へ続く。

:夏井誓子

Information

ヨグマタ相川圭子

女性として史上初のシッダーマスター(サマディヨギ/ヒマラヤ大聖者の意 ) ※1であり、現在、一般社会で会うことのできる世界でたった二人のシッダーマスターのひとり。仏教やキリスト教の源流である5000年の伝統を持つヒマラヤ秘教の正統な継承者。

1984年、伝説の大聖者ハリババジに邂逅。標高5000メートルを超えるヒマラヤの秘境にて死を超える修行を重ね、神我一如に長い間とどまる「最終段階のサマディ(究極の悟り) ※2」に到達し、究極の真理を悟る。

1991~2007年の間に計18回、インド各地で世界平和と真理の証明のための公開サマディを行い、その偉業はインド中の尊敬を集める。2007年にはインド最大の霊性修行の協会「ジュナ・アカラ※3」より、最高指導者の称号「マハ・マンドレシュワリ(大僧正)※4」を授かる。

人々を真の幸福に導く「ディクシャ※5」で、サマディの高次元のエネルギーと、瞑想秘法を伝授。

サマディに到達後、師であるハリババジより「あなたは、チッタム(純粋な魂)な人です。日本に行ってサマディを伝えなさい。人々に真理を伝えなさい。人々を苦しみから救うのです。平和を伝えなさい」と告げられた。その指示を実行するために、日本に戻りサマディからの愛と知恵とパワーをシェアしている。真の幸せと悟りのための各種研修と瞑想合宿を開催し、人々の意識の進化と能力開発をガイドする。

※1 シッダーマスター:
究極のサマディに到達したヒマラヤ聖者のこと。ヒマラヤ大聖者、サマディマスター、サマディヨギ、シッダーグル、ヒマラヤンマスターなどとも呼ばれる。

※2 最終段階のサマディ:
光明、悟り、エンライトメントともいわれる。真のサマディ(究極のサマディ)とは心と体を超越し、すべてを超えて、創造の源の存在・至高なる存在・神と一体(神我一如)になる人の意識の究極のステージ。ヒマラヤ5000年の教え(ヒマラヤ秘教)では、サマディに至るための具体的な実践法(メソッド)が伝えられている。真のサマディ(究極のサマディ)は、仏教の「解脱」「涅槃」に相当する。

※3 ジュナ・アカラ(→wikipedia)
インド最大の霊性修行の協会。

※4 マハ・マンドレシュワリ(→wikipedia)
最高指導者、大僧正の称号。

※5 ディクシャ:
「伝授」という意味で、エネルギーの伝授、秘法の伝授など、さまざまなディクシャがある。

(ヨグマタ相川圭子公式HPより

Web:ヨグマタ相川圭子公式HP

著書:

(左)心を手放す~ヒマラヤ大聖者の人生を照らす言葉
(中央)ヒマラヤ大聖者の人生を変える瞑想
(右)ヒマラヤ大聖者 愛の般若心経 ―生き方が変わる「空」と「悟り」の秘密

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