映画~『古都』


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©川端康成記念會/古都プロジェクト

配給 : ディー・エル・イー
公開 : 12月3日新宿ピカデリー、横浜ブルク13ほか公開 京都11月26日先行公開
監督 : Yuki Saito 企画監修:川端康成記念會 主演:松雪泰子 橋本愛 成海璃子 奥田瑛二 伊原剛志

日本文化の海外発信

川端康成原作の『古都』3度目の映画化。過去2作は共に見事な作品であった。中村登監督、岩下志麻主演の1963年版は撮影の成島東一郎が捉えた京都の美しさは今も語り草になっている。市川崑監督、山口百恵主演の1980年版は、北山杉の風景が美しかった。

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©川端康成記念會/古都プロジェクト

そして本作は、原作で描かれた双子の姉妹、千重子と苗子のその後の物語だ。舞台は現代の京都とパリである。

京都で代々続く呉服店を、千重子(松雪泰子)は娘の舞(橋本愛)に継がせたいが、舞は自立して就職したいという。しかし面接で「この会社で成し遂げたいことがあるか」と問われ、答えられない自分に愕然とする。書道の先生から、パリで開く個展に同行するよう頼まれ、舞は自分を見つめ直す機会ととらえ、パリに発つ。

千重子の双子の妹、苗子(松雪泰子=二役)は北山杉の里で夫と林業を営んでいる。その娘、結衣(成海璃子)は絵画の勉強でパリに留学しているが、何を描きたいのか分からなくなっていた。そしてパリで出会う舞と結衣。

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©川端康成記念會/古都プロジェクト

先の読めるシンプルな展開だが、本作の意図するところは日本文化を映像に留め、海外に発信しようとしているのではないか。京都、パリで披露される書道や日本舞踊などの日本文化は華麗で力強く厳粛だ。

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©川端康成記念會/古都プロジェクト

茶道、書道、日本舞踊、華道、着物と西陣織の帯、座禅、京料理、そして京ことば。

海外の観客を意識したつくりになったのは、監督がハリウッドで映画を学んできたことが影響していると思われる。ともあれ、川端康成も日本の美と精神(こころ)を描こうとしたのだから、本作の作り方は間違っていない。日本文化のカタログ映画、インバウンドといった趣もあるが、海外向けという対象が明確であるからこそ、日本文化を意識的に取り入れたのであろう。

川端文学のキーワード

川端文学は簡潔だ。本作は原作のその後を描いたオリジナルシナリオのようだが、物語の構造はまぎれもなく川端の『古都』なのだ。舞と結衣のアイデンティテイーは、母の八重子と苗子の出生を巡る自分探しと同じである。本作が『古都』の原案ではなく原作としたのも頷ける。川端文学の構造についての考察に通じる面白さがある映画化になっている。

たとえば、『伊豆の踊子』はこれまで6回映画化されているが、いずれもあの短編を原作通りに描いているのに、監督、脚色の視点で、爽やかだったり、哀れだったり、作風が違うのだ。学生と踊子の兄の関係、踊子の先行きである苦界の暗喩、旅芸人に対する村人の差別、踊子の学生への想い、どこに描写の比重を置いているかで、同じ原作でありながら、明暗の印象がまるで違う。これが三島由紀夫の『潮騒』になると、5回映画化されているが、どれも健康的な青春映画である。視点は初枝と新治しかなく、初枝が火を飛び越えるところが肝であるからだ。三島の、ヤマ場に向かって物語を進める知的構造と、川端の細かいエピソードを積み重ねていく自然体の構造の違いであろうか。シェークスピアの『オセロ』は、ほとんどの映画がオセロ側で描いているが、オーソン・ウェルズがイアーゴの視点で描いて、奸計の怖さを浮き彫りにした新しい『オセロ』にした。

このように、繰り返し映画化される原作でも、視点を変えることで新鮮な作品となる。川端文学はシンプルな物語のなかに、多くのキーワードを隠している(たとえば『山の音』の能面)。そのキーワードをどう活かすことができるか、そこに川端文学映画化の面白さがある。本作も過去2作の『古都』と違う切り口の映画化として、新鮮で楽しめる作品となっている。

:伊藤 孝

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