狂気と正常の線引きって? 映画『歓びのトスカーナ』を観る快楽


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『歓びのトスカーナ』

配給:ミッドシップ 原題:LA PAZZA GIOIA
7月上旬、シネスイッチ銀座 ほか全国ロードショー
2016年 イタリア・フランス合作 イタリア語 116分
監督・脚本:パオロ・ヴィルズィ 脚本:フランチェスカ・アルキブージ
出演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ミカエラ・ラマッツォッティ

イタリアは1999年に精神病院を撤廃しました。すべての人間に狂気が宿っているという考え方の、寛容な国だからこそ踏み切ることが出来た大英断です。
この映画を観ていると、イタリアの精神病患者に対する診療施設の状況が良く分かります。拘束具を使わず、薬漬けにもしない。監獄のような部屋ではなく、ルームメイトもいて、自由に散歩ができる社会復帰のための環境が整っている施設です。

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本作は、トスカーナ地方に在る、患者を社会に復帰させるための診療施設で出会った二人の女性患者が診療所を抜け出し、街で破天荒の冒険を繰り広げ、やがて幸せを見出す物語です。
ベアトリーチェ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)は虚言癖のある明るい患者。「私は富豪で貴族なのよ」と触れまわる自称伯爵夫人です。ルームメイトのドナテッラ(ミカエラ・ラマッツォッティ)は重度のうつ病患者。そのためドナテッラは息子を取り上げられ、里親に預けられています。
ある日、施設外の作業所に向かう二人は、車の遅れから市営バスに乗ってしまいます。そしてドナテッラの息子に会いに行きますが、里親は会わせてくれません。わが子が庭で遊ぶ姿を垣根の間から覗く母親。わが子と一瞬目が合います。そんなドナテッラを見て、ベアトリーチェは「私がきっと会わせてあげる」と安請け合いをします。でも、その後も街で気ままに遊びまわるベアトリーチェ。そして二人はトラブルに巻き込まれ、診療所に連れ戻されてしまいます。

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気落ちするドナテッラ。ベアトリーチェはドナテッラに囁きます。「息子に会いに行こう」。
本当にドナテッラは子どもに会えるでしょうか。

イタリアらしい、おおらかで明朗で辛辣、そして優しさに包まれたコメディです。ドナテッラは精神病患者の抱える不安、願望の象徴なのでしょう。精神病院はなくなっても、患者の不安をも払拭しなければ、ケアは不十分であり、その不安は社会に反映されてしまうので、患者と社会の垣根を取り除くことはできない、ということなのでしょう。わが子の姿を垣間見た垣根こそ、精神病患者と社会の垣根そのものかもしれません。

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本作の肝は、ベアトリーチェに虚言癖があるということ。でも、彼女の虚言は他人に迷惑をかけるような虚言ではありません。
筆者が以前勤めていた会社に、虚言癖のある営業マンがおりました。彼を観察していると、劣等感、孤独、見栄による典型的な虚言癖です。筆者が大企業の役員と会った折に、「君の会社には凄いのがいるね」と言われ、聞いてみると「直木賞候補に最終選考まで残った」とか、高卒なのに「早稲田大学卒」と吹聴していることがわかりました。これは全部嘘ですとも言えず、困ってしまいました。「僕にはたくさんの親友がいる」。しかし、奥さんから、「うちに来てくれた初めての人。仲良くしてくださいね」と言われ、虚言に虚言を重ねる彼が哀れになりました。「君は精神科で一度診てもらった方がいい」とは言い難いのは、わが国では精神科イコール狂人が行くところという偏見があるからです。

日本の精神病院の多くは、患者の処遇が隔離収容です。病院による格差こそあれ、イタリアの社会復帰のための診療施設という考え方とは程遠いものがあります。しかも、収容されている患者より精神を病んでいる人が社会生活を送っているという現実。狂気と正常の明確な線引きなどないのです。すべての人間には狂気が内在しているのですから。

オフィシャルサイト :http://www.yorokobino.com/

:伊藤 孝

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