いつか来る夫婦の別れ。ゆっくりと二人で歩む“ありがとう”の人生


©Team『八重子のハミング』

八重子のハミング

監督・脚本:佐々部清
原作:陽 信孝「八重子のハミング」(小学館)
出演:升毅 高橋洋子
文音 中村優一 安倍萌生 辻伊吹 二宮慶多 上月左知子
月影瞳 朝加真由美 井上順 梅沢富美男
製作:Team『八重子のハミング』シネムーブ/北斗/オフィスen
配給:アークエンタテインメント
エンディング曲:谷村新司「いい日旅立ち」(avex io/DAO)
劇中曲:谷村新司「昴」(avex io/DAO)
5月6日(土)有楽町スバル座ほか、全国ロード―ショー

若年性アルツハイマーを患った妻・八重子(高橋洋子)を12年間看病してきた夫(升毅)。そして家族の歩み。思い出を綴るアルバムのような珠玉の作品です。陽信孝の原作を佐々部清が映画化したこの映画は、認知症患者介護についての啓発ではありません。夫婦愛と家族、それを取り巻く人々を描いた作品です。

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「四十年(よとせ)過ぎ 妻と歩めし 瀬戸の人生(みち) うず潮の道 今ぞなつかし」

演壇に立つ白髪の老人、石崎誠吾(升毅)。「やさしさの心って何?」と題した講演。若年認知症を患った妻、八重子(高橋洋子)の介護を通して、自らが経験したこと、感じたことを語ってゆきます。

「妻を介護したのは12年間です。その12年間は、ただただ、妻が記憶をなくしてゆく時間やからちょっと辛かったですねぇ。でも、ある時こう思うたんです。妻は時間を掛けて、ゆっくりと僕にお別れをしよるんやと。やったら僕も妻が記憶をなくしてゆくことを、しっかりと僕の思い出にしようかと…。」

誠吾の口から、在りし日の妻、八重子との思い出が語られます。かつて音楽の教師だった八重子は、徐々に記憶を無くしつつも、誠吾が歌を口ずさめば笑顔を取り戻すこともあったのです。家族の協力のもと、夫婦の思い出をしっかりと力強く歩んでゆく誠吾と八重子。

山口県萩市を舞台に描く、夫婦の純愛と家族の愛情にあふれた12年間の物語です。

©Team『八重子のハミング』

本作に登場する人たちは、誰もが綺麗な心の持ち主で善意に満ちています。この映画は、その気持ちを受け止める誠吾を描こうとしていますが、分からない部分もあります。

八重子の死を受け入れられない誠吾の場面です。認知症の介護で苦労してきた家族は、当人が亡くなると、やっと肩の荷が下りたという気持ちになると聞きますが、誠吾はほっとするどころか、「帰ってこい、八重子!」と号泣します。

友人の医師(梅沢富美雄)は、誠吾ががんになったときに言いました。「八重子さんが若年性アルツハイマーになったのは、お前に死ぬなと言っているんだよ」と。そのため、誠吾は八重子が亡くなったことで自分も死ぬのではないか、と恐れたのでしょうか。そうではないことは明らかです。むしろ今まで寄り添い、ともに生きてくれた感謝の叫びだったのかもしれません。あるいは、そういう妻の愛情に十分に応えられなかったという後悔なのでしょうか。筆者がその誠吾の思いを読み取れなかっただけなのかもしれません。そういえば、誠吾は講演で、「妻は時間を掛けて、ゆっくりと僕にお別れをしよるんやと。やったら僕も妻が記憶をなくしてゆくことを、しっかりと僕の思い出にしようかと…」と言っていたではありませんか。本作のキーワードは「記憶」と「別れ」です。

©Team『八重子のハミング』

おそらく、佐々部清監督が意図的に観る人の判断に委ねたのでしょう。こういうことだと断定されるより、観る人によって違う解釈があってもよいのです。この映画は、一つの見方しかできない作りではなく、観る人の置かれた状況、経験、心境によって違う受け止め方ができる作品だと思うのです。

エピソードごとに挿入される、妻への想いに溢れた誠吾のつくった短歌の数々も心に残ります。

誰にでも訪れる伴侶との別れを描いた本作は、人生の節目を迎えたご夫婦、そしてご両親が健在な若い人にも観てもらいたい作品です。くれぐれも感動的エピソードの陰に隠れている情報、キーワードを読み落とさぬようご注意を。

八重子役の高橋洋子さんは、『旅の重さ』(72)でデビュー、『サンダカン八番娼館 望郷』(74)、自作小説を自ら監督主演した『雨が好き』(81)などで活躍しましたが、文筆活動でスクリーンから遠ざかっていました。今回、佐々部清監督に乞われ、久々の女優復帰、美しい50歳頃から、老いが見える62歳頃までの12年間を見事に演じて、監督の期待に応えました。また、出演者は佐々部清作品でお馴染みのキャストで固めています。

©Team『八重子のハミング』

ところで佐々部清監督は山口県出身ということもあって、山口県を舞台にした作品は本作が5本目。しかも隣県の広島(『夕凪の街 桜の国』という名作があります)、岡山を舞台にした作品(『種まく旅人~夢のつぎ木』)もあり、山陽地区がお好きなようです。本作は八重子さんに縁のある萩市を中心に山口県各地でロケをしていますが、観光案内的要素は皆無、それでも萩市や長門市(夫婦で訪れる温泉旅館のエピソードは感涙必至)に行きたくなるのは、この映画が山口の県民性である優しさ、人情味をも描いているからでしょう。

オフィシャル・サイト http://yaeko-humming.jp/

:伊藤 孝

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