~映画『笑う故郷』は非日常と不条理の世界。笑いと恐怖は紙一重!~

『笑う故郷』

9月16日(土)岩波ホールにてロードショー
原題:El Cludadano Ilustre 英題:The Distinguished Citizen
配給:パンドラ 2016年 アルゼンチン=スペイン 117分
監督・撮影:ガストン・ドゥプラット マリアノ・コーン
出演:オスカル・マルチネス ダディ・ブリエバ アンドレア・フリヘリオ

アルゼンチンはラテンアメリカ最大の映画大国。2016年8月から小学校のカリキュラムに映画の授業が組み込まれ、映画を観て感想を述べあい、鑑賞ポイントを学ぶという。中学校では作品の視点を学習するそうだ。
そういう背景もあってか、アルゼンチンの映画は重層的だ。ガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーン監督の本作も例外ではない。前作『ル・コルビュジエの家』(08)も重層的な作品であった。
『ル・コルビュジエの家』は、ル・コルビュジエの設計した家に住む椅子のデザイナーと、隣家の男とのトラブルを描いた作品。家に窓を設けようと壁に穴を開けようとする男に抗議するデザイナー。陽の光が欲しかったという男。男の主張に理解を示し、受け入れようとする度に家庭内の関係がぎくしゃくする。『ル・コルビュジエの家』のキーワードは「椅子のデザイナー」。椅子のデザイナーはアイリーン・グレイを連想させ、そこに住む家はアイリーンが設計したE.1027を思わせる。ル・コルビュジエはアイリーンの才能に嫉妬し、E.1027の壁に無断で壁画を描き自分の痕跡を残した。壁の破壊はまさにアイリーン・グレイの設計した邸宅を汚した壁画を象徴しているように思える。

ガストン・ドゥプラット、マリアノ・コーン監督の新作『笑う故郷』も、メタファーが散りばめられたブラック・コメディである。
本作の暗喩を理解するには、ストーリーの紹介が長くなるがご容赦願いたい。
スペインで暮らすダニエルはノーベル文学賞授賞作家。講演や取材、イベントなどの依頼で忙しい日々。断る依頼も多い。そのような中、故郷アルゼンチンのサラスから名誉市民授与と講演の依頼が舞い込む。40年ぶりの帰郷。二十代の時に逃げるように旅立った生まれ故郷の空港に降り立つダニエルを待っていた1台の車。サラスまで7時間かかるが、近道を知っているという運転手。だが途中でパンク。スペアタイヤはなく、携帯は圏外。車も通らない。やむなく野宿。翌日、ようやくサラスに到着したダニエルを待っていたのは市長を筆頭に市民の歓迎。市長と(市の)美の女王から名誉市民章を受け、記念講演の会場へ。質疑応答で熱心にダニエルの作品について質問してくる美女。酒場で親友のアントニオと近況について語り合うダニエル。かつての恋人イレーネはアントニオの妻になっていた。ホテルに戻ると、例の美女がベッドに裸で待っていた。誘惑に負けるダニエル。

翌日、40年ぶりに再会したイレーネに、ついキスしてしまうダニエル。絵画コンクールの審査を頼まれたダニエルは、厳しく選考して、視覚芸術協会の大物ロメロが描いた絵画を落選にしてしまう。絵画コンクール会場に乗り込んできたロメロから生卵を投げつけられ、市民の冷たい視線に気づくダニエル。アントニオに誘われている狩りに行こうとするダニエルに、イレーネは「危ないから絶対に行ってはダメ」と忠告する。しかし、アントニオの誘いを断れないダニエルだった…。

ダニエルがサラスに向かうことへの警告のサインは、空港に迎えに来た車がパンクしたことでなされる。そしてイレーネの忠告。だがダニエルは危険を予知することが出来なかった。
ダニエルの帰郷により、アントニオの家庭は壊れ始める。『ル・コルビュジエの家』の椅子デザイナーの家族のように。
ダニエルがサラスの市民からしっぺ返しを食らうのはなぜか。キーワードはスペインである。アルゼンチンは16世紀にスペインの植民地となり、1810年までスペインの支配が続く。しかしナポレオン率いるフランス軍がスペインを占領、その混乱期をチャンスと見たアルゼンチンは独立を宣言、それは5月革命に繋がる。そして1862年にアルゼンチン共和国が成立する。

ダニエルは故郷を40年も離れ、スペインでノーベル文学賞を受ける。ダニエルはスペインの象徴であり、彼の帰郷によりアントニオの家庭、すなわちアルゼンチンは侵略されるのだ。故郷を捨て、故郷を嘲笑う小説を書いたダニエルは、故郷の人々からすれば植民地支配のような屈辱であり、ダニエルは故郷に復讐され、故郷に笑われることでサラスの名誉を回復させ、名誉市民の称号を与えられたのである。

ダニエルにとって、故郷は非日常と不条理の世界であった。
まるでルイス・ブニュエル作品のようなユーモアと悪夢。笑いから恐怖への転換。信頼と裏切り、尊敬と嫉妬、友情と殺意。それらが無意識のうちに醸成されていく怖さ。
笑いの毒が、やがてスリラーへと変貌する。コメディとスリラーは紙一重であることを思い知らされる、重層的な面白さを堪能できる戦慄の傑作である。

オフィシャル・サイト http://www.waraukokyo.com/



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